山梨県南アルプス市の隠れ家的美容室「Aria」予約優先マンツーマン方式ですのでお気軽にお越しください。ハーブティ付リフレクソロジーも好評です。

新婚旅行にて2

| コメント(0) | トラックバック(0)
ホノルル空港へ到着し、1泊目の宿泊地マウイ島へ向かった。
天気にも恵まれ、湿度が低いため、とても心地が良い。

ホテルにチェックインし、ラナイでウエルカムシャンパンを一杯。
至福の時を過ごす。

そろそろ着替えるかと思ったら、スーツケースの鍵がない。
日本に忘れたのだ。( ;∀;)
ホテルのフロントに連絡し、鍵を開けられる人の手配を依頼。

数十分後、2人のその道のプロらしき人達が部屋に来た。
早速、作業を開始するが30分、1時間と経過するも鍵の開く気配がない。

「これはだめかな」と思い始めた頃、職人が一言。
「グッドスーツケース!」

それから、さらに1時間位が経過しただろうか。
「カチャ」という音が、静かな部屋に響いた。
ついに、鍵が開いた。

受け取りは拒否していたが、気持ちのチップを渡した。
暗い旅行になるところを助けてくれてありがとう。
ハワイの鍵開け職人さん、万歳!!!(^^)!


若き日の旅日記3

| コメント(0) | トラックバック(0)
イタリアを旅していた時の話。(フィレンツェだったかな?)
ペンションを少し大きくした感じのこじんまりしたホテルに宿泊した。

比較的広めのレストスペースがあり、旅仲間と談笑していた。

するとそこに、数人の高校生位のイタリア人がやって来た。
つたない英語で話しかけると日本でいう高校1年生で、
スクールトリップ(修学旅行の小型版)で来たとの事だった。

いくつかの会話のキャッチボールをした後、
ひとりの男の子がサインを求めてきた。
別に断る理由もないので、漢字で自分の名前をノートに書いた。

数分後、私の周りは黒山の人だかりとなっていた。
サインを求める行列である。
特に私がルックスがいいとか、
有名人と勘違いしているというわけでもなさそうだ。

談笑していた旅仲間も同様の状態である。
ノートを見せ合う彼らを見て、理由がわかった。

漢字がめずらしいのである。

サインを求められ、気分上々の中、ある生徒が私にこんな質問をした。
「ホワット イズ ユアー リリジョン?」
「あなたの宗教は何ですか」って、高校生がする質問かと思うと同時に
宗教心のない私は、返答に窮してしまった。

宗教=人生哲学と捉えている西洋人は多い。
15歳にして、人生観を持つ彼らに頭が下がる思いだった。



韓流

| コメント(0) | トラックバック(0)
「冬のソナタ」の日本初放送から10年が経過した。
我が家でも「冬のソナタ」「宮廷女官チャングムの誓い」を始め、
かなりの数のDVDを保有している。

これ程韓国ドラマにはまるとは、当初予想もしていなかった。
40代以降の中高年世代にとっては、忘れかけていた感情が思い出されたり、
ストーリーに感情移入しやすい面が、受け入れられているように思う。

しかし、昨今竹島問題など日韓関係は悪化し、
朴槿恵大統領と安倍首相の首脳会談実施のメドすら立たない状況である。

紅白歌合戦からも韓国出身歌手は姿を消し、
フジテレビなども視聴率低下に伴い、韓国ドラマ放送から撤退傾向だ。

ブームが去ったといえばそれまでだが、
本来、政治問題と文化交流は別の問題だと考える。

少なくとも私の周りの「おばちゃん」達を見る限り、
熱烈な韓流ファンはまだまだ多い。
私の妻も熱烈韓流ファンの一人だ。折に触れおススメドラマも紹介したい。
何度となく見た「冬ソナ」や「チャングム」も時間をあけてまた見ると、
引き込まれてしまうのは、私だけでないと思うのだが。(^^♪

初めての欠席

| コメント(0) | トラックバック(0)
母が「2階へ来て」と僕を呼んだ。
母の正面に座ると「お父さんはもう助からない」と僕に告げた。
快方に向かっていると思っていた僕は、とてつもない鼓動とめまいに襲われた。

その翌日から、針のむしろの学校生活が待っていた。
授業に身が入るはずもなく、友人と遊んでいてもいつ呼び出しが来るかと
いつも考えていた。と同時に、
部活やら何やらにかこつけて、ろくに見舞いにも行かなかった事を後悔した。

父の見舞いに病院へ行くと、小学校4年生の弟が
「お父さん具合はどう?」と尋ねた。
父は「だんだん良くなってるよ」と答えた。
僕は涙をこらえるのが精一杯で、何も言葉を発することが出来なかった。

母と弟が病室を退出し、父と2人きりになった。
父が「お母さんと弟をたのむ」と言った。
その時、強い父の涙を初めて見た。
僕は泣きながらうなずく事しかできなかった。
13歳の僕には、これから起こるであろう出来事があまりにも重かった。

そしてついにその日は来た。
僕が病室に駆け付けた時には、父の意識は混濁している状態だった。
2時間ほどの時間が過ぎたであろうか。
父は息を引き取った。

翌日から3日間、僕は学校を欠席した。
義務教育9年間で唯一の欠席だった。
小学校4年生の頃、僕は朝6時半過ぎには登校していた。
父が食事の後片付けや洗濯、保育園に行く弟の世話、出勤と
かなり忙しいので、無意識に気を使っていたのかもしれない。

少年野球の朝練の関係だと思うが、7時には校舎に入れたので、
家から3、4分の距離をブラブラと30分近くかけ登校していた。

7時から最初のクラスメートが登校する8時頃まで、僕は1人で教室で過ごした。
何をしていたのか、ほとんど記憶に残っていないが、
「ロビンソン・クルーソー」の本を繰り返し何回となく読んだ事は覚えている。

無人島で1人生活する主人公に憧れをもっていた。
難題を解決する行動力に夢中になった。
それから、小学校を卒業するまで、バイブルのごとく数え切れないほど読んだ。

そんな早朝登校も半年で終わりを迎えた。
母が退院し、通常時間に登校できるようになった。
勉強はあまり好きではなかったが、元気に学校にいくことだけは心掛けた。

そして、
小学校6年間、1日も欠席することなく、卒業を迎える事ができた。






前の5件 8  9  10  11  12  13  14  15  16  17  18