山梨県南アルプス市の隠れ家的美容室「Aria」予約優先マンツーマン方式ですのでお気軽にお越しください。ハーブティ付リフレクソロジーも好評です。

2013年12月アーカイブ

感謝

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入院.jpg
今日で今年も終わり。
去年の今頃は、病院の個室で
点滴しながら、年末、年始を迎えた。

動脈解離(血管の内壁が裂けた)
から、脳梗塞を発症した。
結果的には、詰まったから
よかったものの、出血していたら、
場所が悪く、即死だった。

左半身が「熱い」という
感覚障害はあるが、機能的な
障害はなく、事なきを得た。

正直、「儲けた命」なのかもしれない。
体調を気配りしつつも、
来年は、アグレッシブに行動してみたい。

何ができ、何をしなければならないか。
自問自答の日々となるだろう。
ファイト.jpg気持ちは前向きで、
充実した日々にしたいものだ。

お客様が気軽に来れる美容室。
最初のコンセプトを忘れることなく、
ご満足頂ける店舗に成長させたい。

今年一年、無事に過ごせたことに
感謝。

ひなびた飲み屋

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飲み屋1.jpg
「ちょっと一杯飲んでくか」と
つい寄りたくなる店がある。

開店は、午後6時。
午後10時前には、閉店だ。
酒は、ビールと日本酒のみ。
カクテルやワイン、ウイスキーは
もちろん、焼酎すらない。

やきとりは5本で140円。
メニュー表もろくになく、
他の常連さんの食べているもの
を見て、メニューを覚えるのだ。

おばあさんと娘(と言ってもおばさん)で、切り盛りしている。
お客も野郎ばかりで、かわいい娘の姿はない。
飲み屋2.jpg
しめは、お茶漬け。
注文後に焼いた鮭をほぐし、
一切れ分、丸ごと入っている。
270円也。

「結構よく飲んだな」と会計すると
2,000円。

東京の下町あたりには、
そんな風情ある飲み屋が
残っているが、
地方の方が少ない気がする。

寒さが厳しい季節になると、
熱燗で一杯が恋しくなる。




繰り返し見たい映画

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ハリウッドスター「トム・ハンクス」と言えば、
「フィラデルフィア」「フォレストガンプ/一期一会」で
2年連続、アカデミー主演男優賞を受賞した名俳優である。

フィラデルフィア.jpgフォレストガンプ.jpgその後も、「アポロ 13」、「ターミナル」、「ダ・ヴィンチ・コード」など
数々の作品に出演し、その地位を不動のものとしている。

若い頃の彼は、コメディー俳優として主に活躍していた。
その頃の作品がとても素晴らしいので、紹介したい。

青年と人魚の恋を描く、ファンタジー・ラブストーリー
「スプラッシュ」
心温まるストーリーで、少年の心に戻れる
「Big」である。

スプラッシュ.jpgBig.jpgスプラッシュは、ウォルトディズニーカンパニーの映画部門として設立された
タッチストーンピクチャーズの第一作であり、笑いの中にもディズニーらしい
ファンタジー溢れるラブストーリーとなっている。

Bigは、ストーリーが温かく、
トム・ハンクス自身もゴールデングローブ賞主演男優賞
を受賞した作品で、評価が高い。
個人的には、大人の男性にぜひ見て頂きたい作品だ。

こうして、書いてるうちに、最近見ていないので
また、見たくなってしまった。

自信をもっておススメできる映画なので、ぜひご覧下さい。











上高地

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上高地3.jpg
田舎に育った者にとっては、
自然はすぐ近くにあるものである。

初めて上高地に行った時、
今までとは違う空気を感じた。
山と川と植物が織りなす、
何とも言えない良さがあるのだ。

大正池から河童橋を経由し、
明神池まで行くのが、
一般的なハイキングコースだと
思うが、フラットな道で、
とても快適だ。

上高地1.jpg
梓川の清流と穂高の山々。
おにぎりや弁当が最高に旨い。
明神池での
イワナの塩焼きも最高だ。

盛夏は人が多すぎる感もあるが、
四季折々、
異なる表情を見せてくれる。

南アルプス市の広河原も
こんな風になればいいのに
と思うのは、私だけでは
ないと思うのだが・・・

上高地2.jpg上高地4.jpg


若き日の旅日記12

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ルーブル美術館.jpg
 フランスと言えば、世界遺産を含め観光名所は数多い。
 その中でも、はずせない場所のひとつが「ルーブル美術館」だろう。

 何を隠そう、私は美術が大の苦手である。
 図画工作はもちろん、学科のテストも苦手で
 全教科の中で最低の成績であった。

モナ・リザ.jpgミロ.jpg
 















そんな私でさえ、美術館の収蔵作品に圧倒された。
貧乏旅行の私は、ジャルパックなどの添乗員付きのツアー客の
後ろにまぎれて、作品説明を聞きまくった。
時代背景や作品詳細などを聞くと、感じるものがまるで違う。
もっとしっかり勉強して来るべきだったと後悔した。
丸一日美術館にいたが、まるで時間が足りなかった。

美術は大の苦手であった私だが、歴史が大好きだったので
想像以上にルーブル美術館を満喫することができた。
できることなら、もう一度訪れてみたい場所のひとつである。


若き日の旅日記11

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フランスと言えば「フランス料理」・・・建物.jpg
ミシュランの星もあり、
漫画「美味しんぼ」にも登場した
「トゥール・ダルジャン」
に行きたいとホテルのコンシェルジュ
に予約を依頼。
「すげー高いけど、お前ら大丈夫か」
みたいな事を言われたけど、
おかまいなしに、8時に予約。

旅仲間5人でいざ出陣。
仲間の1人はイタリアで買った
「アルマーニ」のスーツを初おろし。
彼のあだ名は「100万リラの男」。1トゥールダルジャン.jpg

8時に店に行くと、
「あれ、お客さんが誰もいない」。
不安がよぎる。
よくわからないので、
定番ぽいコースを依頼。
食べたことないカモ料理。
「すげー旨いじゃん」。一同納得。
1時間もすると、知らぬ間に満席。
「予約しといて、よかったぁ~」
デザートのチーズは欲で食べた。
かび臭いのも経験だ。
玄関.jpg
ワインも飲んだので、
生涯で一番高い食事代となった。
(*´ω`)
優雅に食事を楽しむセレブが
こんなにも多いのかと、
貧乏学生は思い知らされた。

「しっかり稼いで、また来るぞ」
と思ったが、多分無理。

現在、世界中で最も観光客が多い
フランス。
伝統に裏打ちされた料理も
魅力の一端であることは、
間違いない。

料理.jpg




私にとっての登山

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赤岳.jpg
はじめまして。
ブログ初登場のM子です。
八ヶ岳の最高峰、
赤岳に登った時の話です。

主人:「今日登る山は、〇〇さんの奥
さんが山登りをはじめて、最初に登っ
た山だよ。初心者でも登れるから」


「初心者でも登れる」イコール
「初心者コース」と勝手に思い込みついて行った。
中学、高校と学校の行事で編笠山に行ったような・・・
赤岳なんて聞いたことない。きっと中高生は行かないような
ハイキングコースなんだろうと。・・・そしたら違った。( ;∀;)

山頂に着き、標柱を見てもまだ最高峰とは知らず。標柱.jpg
何日かして、別の山に登った時、
八ヶ岳が見えた。
主人に、「この前登った赤岳って、どの部分?」と聞いたら、
「とがっている一番高い所じゃん」
「え~!あそこに私立ったの!」
「そうだよ」
「なんてこと。(+o+)
 あんな高い所に立ちながら、
 その価値を知らなかったなんて。」
山頂に立っている時、
「今、私は八ヶ岳の最高峰赤岳の山頂に立っているんだと
 いう満足感を味わいたかったじゃん!!」
「なんで教えてくれなかったの」
「知ってるかと思った」
「初心者コースって言わなかった?」
「初めて登った山とは言ったけど、初心者コースなんて言ってないよ」と。

主人の話は、よぉ~く聞くべし!が教訓となった。

山の頂に立って深呼吸。これが山に登りはじめた目標のはず。
私が山頂に立って深呼吸をすると、決まって空気が悪い。
隣で主人が「山頂で吸う一服は、最高だ」と。
山は空気がおいしいなんてウソだ。それも教訓。

主人のお付き合いでしょうがなく、いくつかの山に登った。
登りながら、いつも思うこと。
「山頂でヴィトンのバーゲンやっていたら、半分の時間で登るだろうな・・・」
先頭に立って、「早く、早くとみんなを手招きするだろうな・・・」と。

私にとって山登りとは、その程度。
今となっては、いい思い出。
そう思い出!もう無理 ・・・・・・・・



Eくん

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Eくんとは、大学入学後同じクラスとなり、
割とすぐに友人になった。
彼の両親は離婚し、一人暮らしをしていた。
少し経ってから知ったのだが、
彼は、学費から生活費まで全て自分のバイトで工面していた。飲み会.jpg

そんな彼も所詮、大学生である。
たまには、合コンにも参加したいのは
やまやまである。
彼のバイト休みの日に合わせ、合コンをセッティングすると
「OK、行く行く」とノリノリ。
合コンでも普段の苦労は微塵もみせず、
3枚目キャラ爆発で、
盛り上げ役に徹していた。

ただ場所が問題だった。
町田市で、新宿、渋谷と異なり終電が早いのだ。
そんな事は全く考えていない我々は、
目一杯盛り上がり、駅に着くと12時を過ぎていた。
終電は、11時50分であった。
(小田急線何とかしてくれ~)
Eくんの住む小岩まではとても帰れないので、小田急線.JPG
僕の住む狛江を目指すことに。
そうは言っても歩くとなると
15km以上ある。
お金のない我々は、
タクシーに乗れるはずもなく、
歩く以外の選択肢はなかった。

男2人、冬の夜道をひたすら歩く。
途中、何とか楽ができないかと、
知り合いの女性の先輩に助けを求めるも
「明日、仕事。夜中に電話しないで。」との返事。
より一層、夜風が身にしみた。
人間、覚悟を決めるとできるものである。
そこからは、Eくんも僕も一言もしゃべらず、
ひたすら、アパートを目指し歩いた。
何とかアパートにたどり着き、
2人で死んだように寝た。
大学.jpg
Eくんは、生活を支える為
バイトが欠かせない。
授業への出席率は低かった。
仲間の誰もが
Eくんが卒業できるか心配していた。
同級生の中には、
某芸能人の息子で、入学時から
外車で登校するバカ息子もいた。
Eくんの4年間は、
バカ息子の4年間と異なり、
社会に出れば、きっと役立つ人材と
認められると思っていた。

卒業式の日、追試をクリアしたEくんと
いつもの明るい顔で会うことができた。
残念ながら、転居の関係などで卒業後のEくんが
どうしているのか、わからなくなってしまったが、
きっと、たくましく生きていることは信じて疑わない。







南アルプス

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 ウルップソウ.jpgウサギギク.jpg          全国的な知名度では富士山に遠く及ばないが、
  北岳は日本第二の高峰であ
る。 
 高山植物の宝庫として知られ、日本でここだけしかない固有種や
 絶滅危惧種も数多く咲き誇っている。



キタダケトリカブト.jpg
キタダケソウ.jpg        

 個人的な好みの問題かもしれないが、登って楽しい山である。
 通常、3000m級の山頂は県境になることが多いが
  北岳は山梨県南アルプス市の山である。




      
タカネマンテマ.jpgタカネビランジ.jpg










 観光政策として、北岳を含む南アルプスは、魅力を持っている。
 
マイカー規制など自然保護に配慮しつつ
 多くの人に訪れて頂きたい豊かな自然がある。



 


         

若き日の旅日記10

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スイスのイメージと言えば「アルプスの少女ハイジ」。登山鉄道.jpg
(古い世代ですみません<m(__)m>)
季節は冬なので、
雄大な景色をみたいと
登山鉄道で山の景色を見ることに。

天気は快晴。
つきにも恵まれ、終点を目指す。
駅を降りると
アイガーなどスイスの山々が。
青空と雪山のコントラストが絶妙だ。

少し歩くと、「レンタルスキー」が。
この条件は、そうそうない。スキー場.jpg
ジャンパーにジーパンの軽装だが、
「いつやるの」「今でしょ」
スキーをやることに。

スキーは久しぶりだったが、
最高の環境で気持ちいい。
何人かの日本人にもあったが、
「北海道なんて、めじゃない」と
言っていた。

ゲレンデが長いので、ゆっくり休憩ポイント.jpg
休みながら、楽しんで時を過ごす。
休憩ポイントで日向ぼっこしながら、
優雅にくつろぐ人々が多かった。

少し話をしたが、
20日以上のバカンス休暇で
スイスに来ている外国人が
多数いることがわかった。

「人生楽しんでるなぁ~」

帰れば社会人になる我々には、
少々、「目に毒」であった。












ナチュティ.jpg

  冬の乾燥する時期におすすめ。
 髪の静電気抑制だけでなく、
 かさついた肌を守ります。
 顔、体、髪と全身の保湿に役立つ商品です。

  12月末まで10%OFF。
   効果を実感して下さい!!

連携

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訪問販売.jpg
その年の重点施策として
「新規取引先の開拓」が挙げられた。

2か月間、担当地域の
徹底したローラー活動を行い、
蓄積した情報をもとに、
成果に結びつけろという指示だった。

その時の営業部隊は、実力者揃い
の精鋭集団で、指示を確実に遂行し
上々の成果を達成した。

個人としても成果を上げることは
できたが、
難攻不落な先が1軒あった。

某有名企業に勤務するお宅との情報から、様々な取引発展の可能性を感じた私は、
積極的にアプローチを試みた。

いりません.jpg
  しかし、何度訪問しても
  玄関ドアすら開けて頂けず、
  門前払いの連続だった。
  
  たった一度だけ、
  庭の手入れをしていた際に、
  「こんにちは、〇〇です」と
  挨拶する事ができたのみであった。

  1年が経過し、
      取引開始に至らぬまま
  担当地域の変更となった。

 後任の担当者は、目標とし尊敬していた先輩で、安心して引き継ぐ事ができた。


握手.jpg  数か月が経過した頃、後任の先輩に
  「ちょっと来い」と声を掛けられた。
   
  「今日、Aさんと取引成約できたぞ」
  「〇〇さんの時は、何もしてあげられ
  なかったけど、宜しくと言ってたぞ」
  と告げられた。

  営業マンは数字を求められる世界。
  当然実績も後任の先輩のものである。
  
    そんな中、あえて取引成約を伝えてくれた先輩の言葉に、鳥肌が立った。

若き日の旅日記9

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スイス.jpg
旅の移動の大半は、電車で移動した。
「ユーレイルパス」というのがあって、
ほとんどの国で使うことができたからだ。

ただJRと異なり、時間が不正確である
ことと、車両が途中で切り離され
行先が全く違うところになるケースがあった。

国境越えの際にパスポート検査があるので
指示を受けて別の車両に移動し、
事なきを得たが、夜中にスイスの田舎で
降ろされた時は参った。

12時前だったと思うが、あたりを見回しても
真っ暗で建物も見当たらない。
覚悟を決め、ツレと左右に別れてホテル探し。

 

  15分後に同じ場所で待ち合わせた。幸い、ツレがペンションらしきものを発見。
 早速、ペンションのフロントで宿泊交渉。
 季節は冬。スイスの山で野宿は不可能だ。
 
 しかし、 6ヶ国語ハンドブックを駆使するも、言葉が通じない。(*´ω`)
 身振り、手振り、必死のボディーランゲージだ。
 30分程かかっただろうか。何とか部屋をキープすることができた。

 部屋でガイドブックを開くと、
 スイスには「レトロマンス語」を話す人が1%程いると記載してあった。
 言葉でなくとも、思いは通じるものである。
                      


消防団

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乗車.jpg
かつて、12年間
消防団活動に従事した。
過ぎてみれば、
あっという間のような気もするが、
仕事との両立は大変な時もあった。

中でもやはり、
ポンプ車操法県大会は思い出深い。
全員練習参加を前提に、早朝練習と
したが、週4~5日はきつかった。

夜9時頃まで仕事をし、帰宅。
夕飯、入浴を済ませ、11時就寝。
朝3時起床、4時~6時半すぎ迄
練習し、出勤。

疲れから信号待ちでボーっとして
後続車にクラクションを
鳴らされることもあった。
ホース延長.jpg
私は選手として出場したが、
サポート隊は選手以上に早起きし、
万全の練習環境を用意してくれた。

目標の県大会優勝を
果たすことはできなかったが、
二度とできない貴重な体験をし、
仲間と過ごした
かけがえのない思い出である。






若き日の旅日記8

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アウトバーン.jpg

シュトゥットガルトからミュンヘンへ
ついに、待望のアウトバーンを走る。

レンタカーもミュンヘンで乗り捨てで
問題なしとの事。
速度無制限という先入観があったが、
意外と速度規制されていた。
当時でも酸性雨等の問題があり、
自然保護が叫ばれ始めていた。


図1.jpgサークル活動で作った
お揃いのスタジャンが左の写真。

チーム名がその名もズバリ
「アウトバーン」
デザインからすべて自分たちで
やったのだが、なにせお金がない。
バイトしてやっと作った思い出の品。
43,000円位と記憶している。

仲間も「一生ものだ」と言っていたが、今も愛用している。

アウトバーンは高速道路ではあるが、
通行料がかからないので、
道に迷った時など、上手に利用すると
使い勝手がとてもよかった。




ホフブロイハウス.jpgミュンヘンでの目的は「ビール」
ヒトラーが演説した事でも有名な
ホフブロイハウスへ
店員さんも「ソーセージ食べる?」
と日本語で聞いてくる。
知らない外人さんと肩組んで
知らない歌を歌ったりしながら、
やたらと盛り上がった。
日本人同様、勤勉とされるドイツ人
も人生楽しんでいる。
ON、OFFの使い分けは、
                     見習うべきかもしれない。




思い出の山行

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燕岳.jpg義兄、義姉、義父と4人で
北アルプスの女王「燕岳」へ。

天気は晴天。
山小屋も最も人気の高い
「燕山荘」の個室を予約。
絶好のコンディションの中、出発。
登山道は整備され、歩きやすいが、
そうは言っても、結構な急登である。
適当に配置された休憩ポイントで
休みつつ歩を進める。


燕山荘.jpg合戦小屋では名物のスイカをGET。
森林限界を超えると
夏の日差しで、かなり暑い。
ヘトヘトになりながら、
何とか山小屋へ到着。
義父も70歳を超えており、
大したもんだ。
山小屋で、休憩した後
山頂へと向かう。
道すがら、コマクサがお出迎え。


イルカ岩.jpgイルカ岩や雷鳥にも出会い、山頂着。

北アルプスは、よく整備されている。
俗化されているという意見もあるが、
我が地元、南アルプスも
見習うべき点が多いのも事実。

この日は、
ブロッケン現象も体験し大満足。
夕方の空のグラデーションは、
まるでオーロラのようだった。


義父も体調を崩し、このメンバーでの山行は最初で最後となったが、
貴重な思い出として、脳裏に焼き付いている。





初登山

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編笠山.jpg
「何が楽しくて山なんか登るのか」
と正直思っていた。
職場の上司に
「山はいいぞ」と勧められ
「お付き合いします」と
八ヶ岳の編笠山へ行くことに。

靴、ザック、レインジャケットの
三種の神器を揃えいざ、出発。

「こんなにゆっくりでいいの」と
思いつつ歩を進める。
平地を歩くのと変わらない歩き方で
最初は元気だったが、
休憩ポイントに着く頃には
徐々にダメージが。押手川.jpg

ここから先は、急登で息が上がる。
呼吸を整えつつ、ゆっくりと確実に歩を進める。

最後の急登は、はしごもあり、
「山頂はまだかな」と
かなりバテバテ。

やっとの思いで山頂へ。
天気にも恵まれ、最高の眺望。
赤岳が目の前に迫る大迫力。
「これは、下界に居てはわからない」
編笠山頂.jpg
山頂でおにぎりを食べる。
「サイコー、メチャ旨い」
上司がラーメンを作ってくれた。
高級料理とは異なる別次元の旨さだ。

充実のひとときを過ごし
下山に向かう。
すると石の斜面が目の前に出現。
「ここを下るの・・・」
当然ながら、やたらと歩きにくい。
足元を確認しながら、青年小屋へ。

青年小屋へ.jpg青年小屋に到着。
ここは知る人ぞ知る「遠い飲み屋」
小屋の前には、赤ちょうちん。

よく冷えた缶ビールを一杯。
「山って最高だな」

これが、最初の山行である。
数日、筋肉痛が残ったが、
2週間後、次の山へ。
そして山に、はまっていった。



ラーメン大好き

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日本の国民食と言っていい「ラーメン」
特に平成に入ってからは、急速に進歩した。

あっさり系からこってり系まで様々な味があり
つけ麺の普及も相まって、進化の一途たどっている感がある。圓外観.jpg

基本的にラーメン大好きな私は、ジャンルにこだわりはないが、
歳のせいか最近はあっさり系に目が行くことが多い。

一軒のラーメン店を紹介したい。
八王子にある「圓」である。
JR八王子駅から
徒歩5分ほどの場所にあり、
カウンター席7席という小さな店である。

スープは看板にもあるように、煮干しのダシを生かした
あっさり系である。個人的な感想であるが、
「これはいい」と思ったのはである。
小麦が香るのだ。
この店の特質すべき点は、自家製粉であること。

自家製麺の店は結構あるが、
製粉から行い、麺を作っている店は、ほとんどないだろう。
煮干し園.jpg
手間を惜しまず、スープを作っている感じも伝わり、
麺との一体感がある一杯となっている。

最近では、
口コミサイト「食べログ」の
東京のラーメン店部門でも上位にランクされ、
メジャーになってしまったのは、少々寂しい気もするが、
一度食する価値ありと思う。

和食テイストを取り入れたラーメン。
近くに行ったら、食べてみて下さい。












減少する花たち

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クルマユリ.jpgコウリンカ.jpgキバナノアツモリソウ.jpg2カタクリ.jpgアヤメ.jpgイカリソウ.jpg

     すべて、櫛形山で見る事ができる花の一部である。
   花の百名山と呼ばれ、季節ごとたくさんの花に
   彩られた面影がなくなりつつある。
 
   鹿の食害による影響が大きいとされ、保護地域をもうけ、
   復活に尽力されているところだ。
   ただ、ネット越しに見る花はあまりにも寂しい。
   わずか10年ほどで、これ程減少するとは予想をはるかに超えた。

   深山だけでなく、里山やその周辺においても、
   雑木林が減少し、生態系が変化している。
  
       未来世代に我々は、豊かな自然を残せるのだろうか。


若き日の旅日記7

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ロマンティック街道1.jpg
「ロマンティック街道を 
                         ドライブしたい」
旅の当初の目的の一つだ。

名前負けするのかな
という不安も正直あった。
レンタカーを借り、いざ街道へ。

街道は見通しのきく区間も多く、
走りやすい。
反面、スピードがでやすく調子に乗っていると時速100kmオーバー
で走っていることも。
あくまで、一般道である。
高速道路と異なり、人が歩いていることもある。

ただ、街並みは綺麗だ。
日本人が抱くヨーロッパのイメージがそこにあった。

ロマンティック街道2.jpgジグソーパズルでおなじみの
ノイシュヴァンシュタイン城も
街道の観光名所である。
近くで見ると迫力がある。刻まれた歴史がそこにあった。

ドライブを満喫し、ホテルに着いた。
部屋に入ると予想外の出来事が・・・

ダブルベットだ!!

僕にもツレにもそっち系の趣味はない。
じゃんけんに勝った僕はベット。
負けたツレはソファ。

翌日の朝、ツレの顔は疲れと睡眠不足で無残な状態となった。




  





空気感

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合唱.jpg

およそ30年ぶりに合唱をした。高校時代以来、合唱から遠ざかっていた。
特に深い理由はないが、「やりつくした感」があったからかも知れない。

練習も2、3回しかしていないのに、
人前で披露してしまうのも「昔取った杵柄」か。
練習の時から感じていたが、実際に歌を合わせてみると空気感が違う。
違和感がまったくないのだ。

お世辞にも上手いとは言えないが、
タイムスリップしたように当時の空気感がよみがえる。
高校時代は、家族よりも共に過ごした時間が長く、
1、2年間の付き合いでも、通常の友人関係の10年、20年分
あるいは、それ以上の深い付き合いであったように思う。

決してなかよしクラブではなく、時には激しい意見の対立もあった。
歌の練習より、意見交換の話合いの方が長いこともしばしばだった。

ゆえに、
時は流れ、それぞれが家庭や仕事を持ち、異なる環境に身を置く今となっても、
あの頃の空気感がよみがえるのかもしれない。

「ハーモニー」=「調和」と訳される事が多いが、
語源として「一致」という意味もある。
共有する思いの「一致」が、空気感を作り出しているように思う。












若き日の旅日記6

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音楽の都オーストリアのウィーンへ。

「やっぱりここに来たら、音楽でしょ」と
街のチケットショップなどで、コンサート情報を入手。
ウィーン.jpg
メジャーなコンサートは、
さすがに人気が高く、しかも当日券、
ほとんど絶望的な状況であった。
この日は、ウィーンフィル弦楽4重奏団によるコンサートが、
ウィーン国立歌劇場で行われる日でもあった。

結局、コンサートチケットは入手できず、ホテルへと戻った。
この日のホテルは、なぜかウィーンでも最高級にランクされる
ホテルで(旅行会社が手配)、とてもゴージャスであった。

まあ、だめもとでホテルのコンシェルジュに
「今日のウィーンフィルのチケット取れませんかね」と依頼してみた。
しばらくホテルのロビーで待っていると、
親指を立てたコンシェルジュが。チケット入手OKだ。
当時のレートで6,000円位だったと思うが、二度とないチャンス。
即ゲットした。(^^♪
さすが、高級ホテルのコネクションは違う。言ってみるものだ。

一張羅に着替え、国立歌劇場へ。
圧倒的な重厚感。歴史と伝統を感じずにはいられない。
演奏はもちろん言うことなし。
詳しいことはわからないが、素直に感動した。

翌日の日曜日は、にわか音楽家気分で教会へ。
ウィーン少年合唱団の讃美歌を聞く。(礼拝なのでもちろんタダ)
音楽溢れるウィーンの街に敬礼。_(_^_)_

社長

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ふぐちり.jpg
ある日、取引先の社長に誘われ、飲みに行く事になった。
待ち合わせの場所に、指定された時間に行くと、既に社長は来ていた。

席には、豪華な料理が用意されており、メインはふぐちりだった。
ふぐなど食べたことのない僕は、
「これがふぐか」と思いつつ、
遠慮なく食べていると、
「酒は何が好きだ?」と社長。
「日本酒が好きです」と僕。

社長がオーダーすると1合の冷酒が目の前へ。「旨い」。何しろ飲みやすいのだ。
3杯ほど飲んだところで、メニュー表に目をやると、
1合「2,500円」の文字が。
「これはやばい」と思っていると、「次いくぞ」と社長。

オシャレなラウンジのような店へ。
綺麗なお姉さんに両サイドを固められ、「両手に花」状態。
場慣れしていない僕は、会話を楽しむ余裕もなく、
ひたすら高そうなお酒を飲んだ。
完全に酔っ払ってしまい、社長がいつ会計を済ませたのかも覚えていなかった。

後日、会社を訪問する際に、お礼の意味で3万円を封筒に入れ持参した。
社長に「気持ちです」と手渡そうとすると、
「バカヤロウ」と一喝。

「いつでも、誰とでもこんな事が、できるわけじゃない」
「俺も若いころ、先輩によくしてもらったから、お前を連れていった」
「今度はお前が成長した時、後輩に返してやれ」

「かっこいい( ^^) _U~~」

月日は過ぎたが、未だ成長していない。((+_+))






ロシア兵.jpg
成田空港からデンマークへ向かう飛行機がトランジットのため、
モスクワ空港に着陸した。

当然、空港から外へは出られないが、
免税品店などを見る事は可能だった。

当時はまだ
ソビエト社会主義共和国時代である。

金属探知機による持ち物検査とボディチェックがあった。私が金属探知機のゲートを通過しようとした時、
「ビー!!」
という大きな音が鳴った。
ロッキー4.jpgのサムネール画像
すぐに私は、身長2m以上あろうかという銃を持った兵士2名に両腕を抱えられた。
正に、ロッキー4の外人そっくりだった。無表情なのも恐怖心をあおった。

「いったいどこに連れていかれるのだろう」と思っていると、
少し離れた場所に連行され、再度のボディーチェックを受けた。

幸い、無罪放免となり、免税店へ入ることができた。
初めての外国であり、かなりビビッた。

P.S
免税店でタバコを買ったのだが、2つで100円だった。
驚いたのは、100円玉がそのまま使えたこと。
通常、外国では自国通貨以外は紙幣しか使えないと思っていたので、
外貨獲得が至上命題なのかなと感じた。



アルバイト

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テーラー画像.jpg
日本経済新聞社の「市場調査」のアルバイトをやったことがある。無作為に抽出された
小売業を訪問、アンケートをお願し、回収する仕事だ。

大手百貨店もあれば、町の雑貨店など、業種も規模も様々だ。

自由な時間に行動できるので、学生の僕には都合が良かった。
そうは言ってもまだ10代。幼さが残る容姿から、冷たくあしらわれることも
しばしばあった。最低限、社会人ぽく見えるようにネクタイを1本買い、
暑くなる季節であったが、身なりを整えた。

日本経済新聞のネームバリューは結構大きいものがあり、
経験を積むとアンケート回収率は飛躍的に向上した。

そんな中、一軒の老舗洋服店に出会うことになる。

「日本経済新聞の市場調査アンケートにご協力頂きたいのですが」
「うちは、政府からのアンケート依頼にも答えたことはない」

「取り付く島もない」とはまさにこの事だと思った。
その日から、毎日短時間でも挨拶に伺うことを心掛けた。
来客中の時は、1時間位目立たぬように外で待つこともあった。

10日程が経過し、アンケート回収期限まであと4日となった頃、
いつものように店舗に伺い、社長に挨拶すると、何も言わず奥に消えていった。

「何か失礼なことしたかな」と思っていると、
「これでも飲みなさい。アンケートは明日までに書いておくから」
とジュースが差し出された。

「君が暑い中、外で待っていたのは知っていたよ」
「熱意と気配りを持って、これからも頑張りなさい」

一杯のジュースがめちゃくちゃ美味しかった。






若き日の旅日記5

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イタリアの夜。
つれと男2人で夜の街へ。キャンティワイン.jpg

今でこそ、イタリア料理は
日本でも人気だが、その当時、
日本ではそれほど市民権を得ていなかった。
ただ、何を食べても旨かった。
日本人の口にはよく合う料理だと思う。

我々は、居酒屋みたいなレストランにその夜入った。
陽気なイタリア人で
店内は盛況であった。
酒が入ると、我々も勢いがつき、
酒盛りに加わった。
それが、運のつきだった。

注ぎつ注がれつ大盛り上がり。歌うは騒ぐは、お祭り騒ぎ。
なぜかプロレスの人気があり、タイガーマスクだのアントニオ猪木だのと
日本人の我々に対して、話しかけてきた。

写真のサイズのボトルを一体何本開けたのだろう。
史上最高レベルで飲んだことだけは間違いない。
正直、お金を払ったのかどうかも定かではない。

翌日は、悲惨であった。当然の二日酔いである。
つれは、ゲロだけでなく血もはいた。
比較的症状の軽かった私は、
ミネラルウオーターの買付と運び屋として1日を過ごした。





若き日の旅日記4

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イタリア、ローマに行った時の話。          futta0226-1366x768.jpg
ローマと言えば、
名作映画「ローマの休日」

トレビの泉では、後ろ向きで一枚コインを投げ入れると
「再びローマに戻って来れる」
とされているが、
現状、戻れていない。(≧▽≦)

スペイン広場、コロッセオ、
真実の口など
定番スポットを散策。
比較的、町がコンパクトで歩きやすい。

意気揚揚と歩いていると、突然現地の人から
「ビー ケアフル」と怒鳴られた。
futta0225-1366x768.jpg
何事かとビビッたが、
つれの友人がカバンを肩越しに
無造作に持っていたのを、
注意してくれたのだった。

日中でもあり、治安のいい日本では考えられないが、
ひったくりは、
日常茶飯事のことらしい。

日本人は「平和ボケ」しているとも言われるが、
それ以来、パスポートなど貴重品は、体に巻き付けて保管した。

イタリア人は人懐こく、気さくなのはいいのだが、
道を聞いた時など、知らなくても教えてくれるので、
結構、痛い目にあってしまった。










新婚旅行にて2

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ホノルル空港へ到着し、1泊目の宿泊地マウイ島へ向かった。
天気にも恵まれ、湿度が低いため、とても心地が良い。

ホテルにチェックインし、ラナイでウエルカムシャンパンを一杯。
至福の時を過ごす。

そろそろ着替えるかと思ったら、スーツケースの鍵がない。
日本に忘れたのだ。( ;∀;)
ホテルのフロントに連絡し、鍵を開けられる人の手配を依頼。

数十分後、2人のその道のプロらしき人達が部屋に来た。
早速、作業を開始するが30分、1時間と経過するも鍵の開く気配がない。

「これはだめかな」と思い始めた頃、職人が一言。
「グッドスーツケース!」

それから、さらに1時間位が経過しただろうか。
「カチャ」という音が、静かな部屋に響いた。
ついに、鍵が開いた。

受け取りは拒否していたが、気持ちのチップを渡した。
暗い旅行になるところを助けてくれてありがとう。
ハワイの鍵開け職人さん、万歳!!!(^^)!


若き日の旅日記3

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イタリアを旅していた時の話。(フィレンツェだったかな?)
ペンションを少し大きくした感じのこじんまりしたホテルに宿泊した。

比較的広めのレストスペースがあり、旅仲間と談笑していた。

するとそこに、数人の高校生位のイタリア人がやって来た。
つたない英語で話しかけると日本でいう高校1年生で、
スクールトリップ(修学旅行の小型版)で来たとの事だった。

いくつかの会話のキャッチボールをした後、
ひとりの男の子がサインを求めてきた。
別に断る理由もないので、漢字で自分の名前をノートに書いた。

数分後、私の周りは黒山の人だかりとなっていた。
サインを求める行列である。
特に私がルックスがいいとか、
有名人と勘違いしているというわけでもなさそうだ。

談笑していた旅仲間も同様の状態である。
ノートを見せ合う彼らを見て、理由がわかった。

漢字がめずらしいのである。

サインを求められ、気分上々の中、ある生徒が私にこんな質問をした。
「ホワット イズ ユアー リリジョン?」
「あなたの宗教は何ですか」って、高校生がする質問かと思うと同時に
宗教心のない私は、返答に窮してしまった。

宗教=人生哲学と捉えている西洋人は多い。
15歳にして、人生観を持つ彼らに頭が下がる思いだった。



韓流

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「冬のソナタ」の日本初放送から10年が経過した。
我が家でも「冬のソナタ」「宮廷女官チャングムの誓い」を始め、
かなりの数のDVDを保有している。

これ程韓国ドラマにはまるとは、当初予想もしていなかった。
40代以降の中高年世代にとっては、忘れかけていた感情が思い出されたり、
ストーリーに感情移入しやすい面が、受け入れられているように思う。

しかし、昨今竹島問題など日韓関係は悪化し、
朴槿恵大統領と安倍首相の首脳会談実施のメドすら立たない状況である。

紅白歌合戦からも韓国出身歌手は姿を消し、
フジテレビなども視聴率低下に伴い、韓国ドラマ放送から撤退傾向だ。

ブームが去ったといえばそれまでだが、
本来、政治問題と文化交流は別の問題だと考える。

少なくとも私の周りの「おばちゃん」達を見る限り、
熱烈な韓流ファンはまだまだ多い。
私の妻も熱烈韓流ファンの一人だ。折に触れおススメドラマも紹介したい。
何度となく見た「冬ソナ」や「チャングム」も時間をあけてまた見ると、
引き込まれてしまうのは、私だけでないと思うのだが。(^^♪

初めての欠席

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母が「2階へ来て」と僕を呼んだ。
母の正面に座ると「お父さんはもう助からない」と僕に告げた。
快方に向かっていると思っていた僕は、とてつもない鼓動とめまいに襲われた。

その翌日から、針のむしろの学校生活が待っていた。
授業に身が入るはずもなく、友人と遊んでいてもいつ呼び出しが来るかと
いつも考えていた。と同時に、
部活やら何やらにかこつけて、ろくに見舞いにも行かなかった事を後悔した。

父の見舞いに病院へ行くと、小学校4年生の弟が
「お父さん具合はどう?」と尋ねた。
父は「だんだん良くなってるよ」と答えた。
僕は涙をこらえるのが精一杯で、何も言葉を発することが出来なかった。

母と弟が病室を退出し、父と2人きりになった。
父が「お母さんと弟をたのむ」と言った。
その時、強い父の涙を初めて見た。
僕は泣きながらうなずく事しかできなかった。
13歳の僕には、これから起こるであろう出来事があまりにも重かった。

そしてついにその日は来た。
僕が病室に駆け付けた時には、父の意識は混濁している状態だった。
2時間ほどの時間が過ぎたであろうか。
父は息を引き取った。

翌日から3日間、僕は学校を欠席した。
義務教育9年間で唯一の欠席だった。