小学校4年生の頃、僕は朝6時半過ぎには登校していた。
父が食事の後片付けや洗濯、保育園に行く弟の世話、出勤と
かなり忙しいので、無意識に気を使っていたのかもしれない。
少年野球の朝練の関係だと思うが、7時には校舎に入れたので、
家から3、4分の距離をブラブラと30分近くかけ登校していた。
7時から最初のクラスメートが登校する8時頃まで、僕は1人で教室で過ごした。
何をしていたのか、ほとんど記憶に残っていないが、
「ロビンソン・クルーソー」の本を繰り返し何回となく読んだ事は覚えている。
無人島で1人生活する主人公に憧れをもっていた。
難題を解決する行動力に夢中になった。
それから、小学校を卒業するまで、バイブルのごとく数え切れないほど読んだ。
そんな早朝登校も半年で終わりを迎えた。
母が退院し、通常時間に登校できるようになった。
勉強はあまり好きではなかったが、元気に学校にいくことだけは心掛けた。
そして、
小学校6年間、1日も欠席することなく、卒業を迎える事ができた。
高校へ入学して、一週間後位に「宿泊研修」というものがあった。
一週間しか経っていないこともあり、クラスメートとの仲はそれほど
親しいものではなかった。
一泊二日の予定で、一日目の昼は弁当持参であった。
コンビニもない時代であり、おにぎり持参が定番となっていた。
しかし、その日に限って僕は寝坊してしまった。
慌ててご飯を炊いたが、炊き立てで熱いのと経験不足から
うまく握れない。
遅刻するよりましかと、前日の残り物を弁当に詰め、持参した。
クラスメートがおにぎりを食べる中、僕はなんとなく気恥ずかしく、
隠れるように弁当を食べていた。
そんな中、クラスメートの一人が、
「こうゆう時に、弁当持ってくるってめずらしいよな」と言った。
悪気がないのはわかっていた。
でも、「悔しかった」「情けなかった」
おにぎりひとつ満足にできない自分に腹がたった。
時を経た今となっても、自分の反骨精神の原点のように思う。
僕は、小学校6年生の弟と母のいる病院に行くことにした。
病院までは、少し距離があり、
行きは、登り坂かつ向かい風の北風であることから、
弟を僕の肩につかまらせ、バイクで引っ張って行くことにした。
しばらく走ると、反対車線から来る、
巡回中のお巡りさんのバイクが目に入った。
当然、呼び止められ停止させられた。
警:「どこへ行くの」
僕:「お母さんが入院している病院へ・・・」
警:「危険なのは、わかるよね。」
僕:「はい。すみません。」
警:「お父さんは?」
僕:「2年ほど前になくなりました。」
警:「高校生だよね。お弁当とかどうしてるの?」
僕:「朝、自分で作ってます。」
警:「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
警:「この道は危険だから、向こう側の道を行きなさい。」
お巡りさんは、そのまま行ってしまった。
僕は、罪悪感に包まれた。
今、子供を持つ身として思うこと。
指導とは、罰を与えることや怒鳴り散らすことでは
決してないということ。
むかし、むかしの新婚旅行の話。
「一生に一回の事だから・・・」とありがちなアップグレードの旅行プランを定番のハワイから選択。
さらに、無理してビジネスクラスを予約。
当日、空港のチェックインカウンターで「ラッキーですね、本日はアッパーデッキをご用意しました。」
みたいな事を言われたが、何の事かわからず、ラウンジで搭乗待機することに。
ビジネスラウンジは、ゆったりしていてお金のありがたさを痛感。
搭乗案内までゆっくりと過ごした。
いよいよ搭乗となり、一番最後くらいで機内へ。CAさんに案内されるままに席に向かう。
アッパーデッキなるものに着くと、担当CAさんが「野中様、お待ちしておりました。こちらのお席へどうぞ」
との案内。何で名前を知ってるんだと疑問に思いつつ、席数を数えると8席しかない。
「ファーストクラスだ」とその時初めて理解した。
「ウエルカムドリンクをどうそ」とフライト前なのに、シャンパンが用意される。
食事もコース料理が一皿ずつ提供される。
おのぼりさんの私は、最後に美人のCAさんと記念写真を撮り、
お客様に提供される予定だったチョコレートを一箱お土産に頂き、大満足でハワイに着いた。
・・・お金は宝だ・・・
ギリシャの首都、アテネでの話。
午後3時位には、ホテルにチェックインできたので、町の散策に出かけた。
学習能力に欠ける私は、コペンハーゲンでの教訓を生かすこともなく、地図も持たずに出発してしまった。
徒歩での散策であったが、歩き続けるうちに完全に方向感覚を失い、迷子になった。
街ゆく人に話しかけてみるが、英語がほとんど通じない。
八方塞がりの中、最後の手段、警察に駆け込んだ。
・・・しまった、ホテルの名前が思い出せない・・・
電話帳でホテルの名前を片っ端からあげてもらうも、ピンとこない。
ふと、ホテルの近くに広場があったことを思い出した。
広場の近くのホテル名を調べてもらうと、その中のひとつに「ドリアンイン」という名前が。
「これだ」 (^^)/
警察官に電車で3つ先の駅の近くだとの説明を受け、何とかホテルに到着できた。
およそ5時間にわたる放浪であった。
困った時は「警察」へ。 旅の教訓である。(^_-)-☆
デンマークの首都、コペンハーゲンに行った時の話。
到着した時は既に夜であったが、「人魚姫の像」を見たいと夜の街へ。
時は2月中旬。北欧の寒さは厳しく、海が凍るほどであったが、なんとか到着し、像を見る事ができた。
しかし、
若さに任せて勢いで飛び出して来た為、地図すら持っておらず、帰り方がわからない。( ;∀;)
当てずっぽうでバスに乗り、運転手さんにホテルの名前を連呼した。
現地の乗客は比較的少なく3、4名だったと思うが、バスを止め、何やら乗客と話し始めた。
言葉がわからないので、何を話しているのか皆目見当がつかないまま、バスは走り始めた。
向かう方向が正しいのかすらわからぬまま、バスにのっていた。
しばらくすると見覚えのある建物が・・・
なんとホテルまで、送ってくれたのだ。
路線バスがルートを変えるなど、日本では考えられない。
「お・も・て・な・し」の心は、世界中にあるのかもしれない。