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社長

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ふぐちり.jpg
ある日、取引先の社長に誘われ、飲みに行く事になった。
待ち合わせの場所に、指定された時間に行くと、既に社長は来ていた。

席には、豪華な料理が用意されており、メインはふぐちりだった。
ふぐなど食べたことのない僕は、
「これがふぐか」と思いつつ、
遠慮なく食べていると、
「酒は何が好きだ?」と社長。
「日本酒が好きです」と僕。

社長がオーダーすると1合の冷酒が目の前へ。「旨い」。何しろ飲みやすいのだ。
3杯ほど飲んだところで、メニュー表に目をやると、
1合「2,500円」の文字が。
「これはやばい」と思っていると、「次いくぞ」と社長。

オシャレなラウンジのような店へ。
綺麗なお姉さんに両サイドを固められ、「両手に花」状態。
場慣れしていない僕は、会話を楽しむ余裕もなく、
ひたすら高そうなお酒を飲んだ。
完全に酔っ払ってしまい、社長がいつ会計を済ませたのかも覚えていなかった。

後日、会社を訪問する際に、お礼の意味で3万円を封筒に入れ持参した。
社長に「気持ちです」と手渡そうとすると、
「バカヤロウ」と一喝。

「いつでも、誰とでもこんな事が、できるわけじゃない」
「俺も若いころ、先輩によくしてもらったから、お前を連れていった」
「今度はお前が成長した時、後輩に返してやれ」

「かっこいい( ^^) _U~~」

月日は過ぎたが、未だ成長していない。((+_+))






ロシア兵.jpg
成田空港からデンマークへ向かう飛行機がトランジットのため、
モスクワ空港に着陸した。

当然、空港から外へは出られないが、
免税品店などを見る事は可能だった。

当時はまだ
ソビエト社会主義共和国時代である。

金属探知機による持ち物検査とボディチェックがあった。私が金属探知機のゲートを通過しようとした時、
「ビー!!」
という大きな音が鳴った。
ロッキー4.jpgのサムネール画像
すぐに私は、身長2m以上あろうかという銃を持った兵士2名に両腕を抱えられた。
正に、ロッキー4の外人そっくりだった。無表情なのも恐怖心をあおった。

「いったいどこに連れていかれるのだろう」と思っていると、
少し離れた場所に連行され、再度のボディーチェックを受けた。

幸い、無罪放免となり、免税店へ入ることができた。
初めての外国であり、かなりビビッた。

P.S
免税店でタバコを買ったのだが、2つで100円だった。
驚いたのは、100円玉がそのまま使えたこと。
通常、外国では自国通貨以外は紙幣しか使えないと思っていたので、
外貨獲得が至上命題なのかなと感じた。



アルバイト

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テーラー画像.jpg
日本経済新聞社の「市場調査」のアルバイトをやったことがある。無作為に抽出された
小売業を訪問、アンケートをお願し、回収する仕事だ。

大手百貨店もあれば、町の雑貨店など、業種も規模も様々だ。

自由な時間に行動できるので、学生の僕には都合が良かった。
そうは言ってもまだ10代。幼さが残る容姿から、冷たくあしらわれることも
しばしばあった。最低限、社会人ぽく見えるようにネクタイを1本買い、
暑くなる季節であったが、身なりを整えた。

日本経済新聞のネームバリューは結構大きいものがあり、
経験を積むとアンケート回収率は飛躍的に向上した。

そんな中、一軒の老舗洋服店に出会うことになる。

「日本経済新聞の市場調査アンケートにご協力頂きたいのですが」
「うちは、政府からのアンケート依頼にも答えたことはない」

「取り付く島もない」とはまさにこの事だと思った。
その日から、毎日短時間でも挨拶に伺うことを心掛けた。
来客中の時は、1時間位目立たぬように外で待つこともあった。

10日程が経過し、アンケート回収期限まであと4日となった頃、
いつものように店舗に伺い、社長に挨拶すると、何も言わず奥に消えていった。

「何か失礼なことしたかな」と思っていると、
「これでも飲みなさい。アンケートは明日までに書いておくから」
とジュースが差し出された。

「君が暑い中、外で待っていたのは知っていたよ」
「熱意と気配りを持って、これからも頑張りなさい」

一杯のジュースがめちゃくちゃ美味しかった。






若き日の旅日記5

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イタリアの夜。
つれと男2人で夜の街へ。キャンティワイン.jpg

今でこそ、イタリア料理は
日本でも人気だが、その当時、
日本ではそれほど市民権を得ていなかった。
ただ、何を食べても旨かった。
日本人の口にはよく合う料理だと思う。

我々は、居酒屋みたいなレストランにその夜入った。
陽気なイタリア人で
店内は盛況であった。
酒が入ると、我々も勢いがつき、
酒盛りに加わった。
それが、運のつきだった。

注ぎつ注がれつ大盛り上がり。歌うは騒ぐは、お祭り騒ぎ。
なぜかプロレスの人気があり、タイガーマスクだのアントニオ猪木だのと
日本人の我々に対して、話しかけてきた。

写真のサイズのボトルを一体何本開けたのだろう。
史上最高レベルで飲んだことだけは間違いない。
正直、お金を払ったのかどうかも定かではない。

翌日は、悲惨であった。当然の二日酔いである。
つれは、ゲロだけでなく血もはいた。
比較的症状の軽かった私は、
ミネラルウオーターの買付と運び屋として1日を過ごした。





若き日の旅日記4

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イタリア、ローマに行った時の話。          futta0226-1366x768.jpg
ローマと言えば、
名作映画「ローマの休日」

トレビの泉では、後ろ向きで一枚コインを投げ入れると
「再びローマに戻って来れる」
とされているが、
現状、戻れていない。(≧▽≦)

スペイン広場、コロッセオ、
真実の口など
定番スポットを散策。
比較的、町がコンパクトで歩きやすい。

意気揚揚と歩いていると、突然現地の人から
「ビー ケアフル」と怒鳴られた。
futta0225-1366x768.jpg
何事かとビビッたが、
つれの友人がカバンを肩越しに
無造作に持っていたのを、
注意してくれたのだった。

日中でもあり、治安のいい日本では考えられないが、
ひったくりは、
日常茶飯事のことらしい。

日本人は「平和ボケ」しているとも言われるが、
それ以来、パスポートなど貴重品は、体に巻き付けて保管した。

イタリア人は人懐こく、気さくなのはいいのだが、
道を聞いた時など、知らなくても教えてくれるので、
結構、痛い目にあってしまった。










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